あいつらは何だったのか。
走行中の車内を埋め尽くすように、四方から次々に湧いて出てきた黒づくめ。
車壁をすり抜け、まさに湧いて出た。ゆうに20体はいた。
人の形をしているが、一見で生きている人間とは違うとわかる。
顔はない、ないのだが笑っているのがわかる。口もない、しかし何かをつぶやいているような。
「一緒においで、一緒においで、一緒においで」。
そう聞こえた。抑揚はない。しかし感情を顕させずしてどこが楽しげ笑っている。
「ああ、俺は死ぬんだな」。そう思うと同時にあいつらはにじり寄ってきた。
ノンは同僚の女子社員クリエーター。席は真横、育ちが良くおっとりとした心優しい子、娘と同い年である。
2018年11月30日午前、私はオフィスで昏倒し、すぐさまノンが手配してくれた救急車に収容された。
致死率75%の脳出血。身体の自由は無くなっていたが意識は明瞭で口は達者。無線を使い某大学病院に搬しようと手配してくれている救急隊員に「そこはダメ、〇〇病院に向かってくれよ」と割って入るほどだった。
目を動かすとノンが同乗してくれているのがわかり「ヨォ」と目を向けた。心配顔が少しだけ微笑んだ。
ただ、あいつらは自分にしか見えないらしい。そうか、死を間際にした者にしか見えない、これが死神か。
「一緒においで、一緒においで、一緒においで」。
サイレン音が鋭く車内に響く。猛烈なスピードで動いているのがわかる。
人生の終幕に脳裏に浮かぶという走馬灯。それが「いつ始まるんだろう」と思った。
そのうち救急車内は死神たちで埋め尽くされ、自分が横たわるストレッチャーに触れるほどに接近、私にに覆い被さってくる。その時、死神たちの隙間からのぞいたノンと目が合った。ノンは不思議そうにこちらを見る。目で訴えた。「こいつらが見えるか?」と。彼女の視線を目の前にいる死神の一体に誘導した。
何度か彼女と死神を目で往復する。ノンの目がついてくる。そしてついに視線は死神を捉えた。しかし彼女には死神は見えておらずキョトンとしている。視界に入ったのは車内空間に過ぎなかっただろう。「そこから目をそらさないで」…そう念じつつ、ふたたび目で訴えるとノンは視線を固定してくれた。すると何かを感じ取ったのか死神はゆるりと首を回しノンを見る。目が合う。但しノンは何もない空間を、しかし死神はノンを。次の瞬間、死神は「ギギギッ」と異様な唸り声をあげ、悶え苦しみながら粉々に崩れ散り、消えた。
次の死神を見る。するとノンがふたたび空間に視線を向ける。死神がノンを嫌がっている。しかしノンを見てしまう。そして「ギギギッ」と悲鳴、粉々になっていなくなる。・・・これを何度も何度も繰り返した。
救急車のスピードが緩み、サイレン音が鎮まる。〇〇病院の救急救命センターに到着したようだ。
隊員の動作が慌ただしくなる。シートベルトを解除しようと目を伏せたノンに声をかけようとするが、もう声が出ない。意識が薄らいでいく。・・・まだいる。
最後の死神は隠れるように隅に身を潜めている。ストレッチャーが動き出した。隊員とドクターが話す声が聞こえる。救急車からストレッチャーが降ろされる刹那、白んでいく視界の中で死神が笑う。病院に入りこもうとしている。その時、自分の横に立って寄り添ってくれているノンが不意に車内を振り返った。
「一緒においで、一緒にお、一緒に・・・ギギギッ」。ノンの視線を浴びた最後の死神が悶絶して霧散した。
あれから半年。私はまだ生きている。
最後の一体が病院に侵入していたら、私は集中治療室で息絶えていたのではないかと思う。あいつらは私を連れていきたかった。それを阻んでくれたのはノンである。彼女の清廉さと純真さが死神を一掃し、死を受け入れつつあった私を現世に引き戻してくれた。生かされた命。だが次は見逃さないだろう。もうひとつ、迎えにくるのがあいつらである以上、私の行き先は地獄に違いない。
「一緒においで、一緒においで、一緒においで」。(了)