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第一章 2018 夏 前兆あり

高血圧高脂血=糖尿病は重度でなければ通常の生活を営めます。症状に慣れると自分の耐性を過信してしまいます。最もわかりやすい前兆は私の場合、味覚の減退でした。
何を食べても味がせず、強い甘さや辛さを求めるようになり高血圧高脂血と腎臓への負担を助長してしまいます。最終的には無味覚を越え食べ物から下水や汚物の匂いがする錯覚にとらわれます。味覚が減退したらすぐに検査を受けてください。

検診結果無視

私は広告代理店出身、バブル世代のラストランナーである。大学を出てから丸5年、一日の休みもなかった。それでも業界の日々が楽しく、よく働きよく遊びよく呑みよく食べた。40代になると大学教育および広報関連の団体職員に転じ、ここ10年は京都、大津、広島に居住した。バブルは遠い夢物語となっが歳を取っても相変わらずよく働きよく遊びよく呑みよく食べた。どこもいい街で楽しかった。
毎年各地で定期検診を受け毎年引っかかった。毎年総務に「お医者さんに行ってください」と懇願されたが仕事を優先し一度も通院しなかった。土地勘のない赴任地で相談できるホームドクターなど探す暇もなく定期検診の診断表は開封すらしなかった。絵に描いたようなメタボ体型だったが成人病症状が出たことはなく、よっ危機感のかけらもなく、放ったらかしのまま年月が過ぎ、一昨年実家のある岡山に戻って来た。54才になっていた。当時の体重は110kg、のちに開封した定期検診診断表の血圧の欄には225/178と記されていた。

お前、死ぬぞ

流れが変わったのは岡山に居を移して1年ほどの2018年初夏。突然右足親指の付け根に激しい痛みが走った。どこかに打ちつけた覚えがなかったことから「これは痛風に違いない」と結論づけた。すると不思議なもので妙な安心感が生じ「明日病院行こう」と気楽に床についた。次の日成人病クリニックで診察室に入るなり、初対面の院長に「即入院!! お前死ぬぞ」と大目玉を食らった。「こんな糖尿病の数値で生きているのが不思議だ。明日から入院だ」。「そんなことより痛風を治してくださいよ」と返すとまた大目玉食らった。この日も血圧は200を超えていた。
ところがその日、倉敷真備地区で大水害が発生し状況が一変する。医療機関は機能が弱まり、入院受け入れは被災者優先で私の入院はキャンセルに。代わりにインスリンを処方された。やっと「やばいかも」と思い、毎日7単位を打ちこんだ。2ヶ月も経つと症状は驚くほど改善し、あの院長から「危険水域抜けたぞ」とお誉めいただいた。とにかくあの頃は水害の影響で病院の待ち時間が4時間以上と尋常ではなく仕事との調整が困難になったため、足が遠のいた。あのままインスリンを続けていれば…と言われることも多いが、あそこで最低限の治療を受けたので命が助かったと思っている。

ストレス四重奏

なぜ脳出血となったのか? 予測される病因は山ほどあるが、とりわけストレスが占める割合が大きかったと振り返る。何もかもがままならない人生初の難局面。
何もかもがダメ、八方塞がり、孤立無援、ほとんどうつ状態に陥っていた。
当時襲われたストレス四重奏は次の通り。
1. 地元商工団体に依頼され企画プロモートした被災地コンサートが主催者の勝手な都合で中止に。アーティストサイドと板ばさみとなる。 2. 大手ハウジングメーカーと練りに練って資金投入した所有不動産運用が土地の境界線解釈でもめたため棚上げに。
 ※1、2は個人活動
3. 家庭(掲載自粛) 4. 職場(掲載自粛)鎮痛剤を数錠飲まないと起き上がれないほど体調を壊し、2018年秋口には気力が失せ、辛うじて生活しているという有様に。そんな時、一筋の光がさした・・・。何もかもが進まない中、ヘッドハンティング会社経由で関西地区からの転職オファーが届き、停滞ムードは一転希望の日々へと変わる。そして年明けからの新生活を念頭に準備を進めていた矢先・・・・・。
恐ろしいことに、倒れた日は被災地コンサートの予定日だった。
(第二章につづく)