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第十章 2019 7/8 新しい道(2)

福祉サービスはとにかくわからないことだらけですので、周囲のサポートなしに効果的なリハビリ生活は成り立ちません。繰り返しになりますが、ケアマネージャー・主治医(かかりつけ医)・セラピストに恵まれるか否かで求める結論は左右されます。
私の場合は過分なほど出会いに恵まれました。彼らとの出会いの機会は回復期病院入院時に行うもの。苦しい時期ですがじっくりとした吟味と面談が必要です。

デイケア参戦

デイケアなど自分に全く関わりない場所と思っていた。
仕事をスローダウンし、創心會三人娘のリハビリと自主トレに時間を費やす日々。「自主トレ、やり過ぎないでくださいね」ばかり言われていた。そんな時、全幅の信頼を寄せているケアマネージャーから「デイケアに通ってみてはどうですか?」との連絡が入った。ベイエリア付近に大規模なケアセンターができたそうだ。「リハビリに専念する時間ができたと思うので、いかがですか?」と言ってもらったが、「多分お年寄りの利用者がメインだと思うので、彼らに邪魔と思われないのであったら…」と幾分、消極的な姿勢で見学に行った。
施設的には申し分ない。特にトレーニングマシンが充実、職員の人たちに強い熱意を感じたので週1回の契約で通ってみることにした。
思えば回復期病院にも充実のマシンが並んでいたが右上肢・下肢とも筋緊張がとんでもなくひどく、一度も乗ることができなかった。と言うより力が入らなかったため、乗るどころではなかったのだ。
デイケアは10:00〜16:30。アビリティ共生デイでは高齢者が参加するイベントメニューから独自メニューを一部切り離すという便宜を図ってくれたのでマシンと自主トレでとにかく身体を苛めた。また職員にはOT(作業療法)療法士が在籍しているため、マッサージや施術を受けることもできる。とても居心地が良かったので、週2回に設定し直した。敷地が広大なため、ウォーキングも安心して行うことができる。ここなら創心會三人娘の日常のリハビリを補完できると確信した。
もうひとつ、食事面の充実が見逃せない。
アビリティ共生デイは施設内に管理栄養士が指導する調理場があり、出来合いの弁当ではない出来立ての料理を提供してくれる。「これ、ホントに減塩メニューですか?」と思わず聞くほど美味しい味付けだったので、別メニューを夕食として弁当扱いにしてもらった。
ストイックの度が過ぎて自宅に閉じこもっていてはいけない。
今やアビリティ共生デイは、私の第二の我が家である。

腎臓内科

主治医(ホームドクター)から「糖尿病数値に関しては問題なくなったで」とほめられた。空腹時血糖値は160mg/dLから100-120へ下がった。HbA1c(ヘモグロビン)は8.1%から6%前半へと改善した。
「ただ尿蛋白の数値が気になる。一度、基幹病院の腎臓内科に行っておいで」ということで約半年ぶりに救急救命を受けた思い出の病院に行ってきた。
「放置してたら人工透析だね、このままだと」ときつ〜い所見を浴びせられた。GFR(糸球体濾過率)は正常と末期低下のちょうど中間、クレアチニンは1.72mg/dLと正常値1.2を上回っていた。糖尿病性腎症としてはなんとか持ちこたえた程度だが、周囲のサポートのおかげで血糖コントロールが正常化しており、主治医からは「大丈夫や」との言葉をもらった。「さぁ今度は眼医者さんや。眼底圧力の異常、糖尿病性網膜症の心配があるんや」、「マジですか?」。

糖尿病網膜症

我が家は非常に便利なところで、なぜか1km徒歩圏にほぼ全科の医療機関がある。「あの眼科さんは若くて優しい先生ですごく評判なんですよ」とのケアマネージャーの推薦を受け、開院まもないきむら眼科糖尿病網膜症の検査に行った。糖尿病の場合、合併症が悪化すると高い確率で眼圧がかかり、網膜の血管が破れてしまうことがあり、放置すると最終的に失明してしまうという。生まれつき視力が良いため眼科に通院するのは小学生のとき以来。勝手が全くわからないため腎臓内科受診のとき以上に恐怖を感じた。
親切な診察と特定検査の結果、網膜症の心配なし、黄斑浮腫なし、光凝固なしだった。一安心である。ちなみに裸眼視力は左0.7/右0.5だった。
人生でここまで立て続けに各科医療機関を受診したことはない。
今まであまりに健康とか体調管理に無頓着だった。だからこんなことになってしまったわけだが、間に合う範囲で少しでもリカバリーできればと思う。

障害者手帳

あきらめたわけではないが、右上肢と下肢が元通りの機能レベルに戻るのは不可能であると知っている。しかし当初は「歩けるようにはならないよ」と言われた身。立てた、歩けた、そして少しずつだが右上肢も動くようになってきた。あとは許される期間内でどれだけ機能が戻るか…それがわからないなりに日々を過ごしている。
障害者として行政から認定を受け、等級を得れば社会生活面で様々なサポートを受けることができるだろう。税制面での優遇などメリットもあるのかもしれない。一方で自分=社会弱者というレッテルを甘んじて受けることになる。もちろん汚い手を使わなければ正当に受けられる権利であるのかもしれない。
しかしそういうことよりも自分の立ち位置を知りたい。今の自分はどの障害者ランクなのかを知りたくなった。入院していた回復期病院に行くことに抵抗があったので創心會三人娘コンマイに相談、創心會SSK茶屋町クリニック機能検査と意見書作成を受けてもらうことになり、とても助かった。検査はその夜、動けなくなるほどキツかった。それくらいやらないと不正の芽が出るということだろうか。マスノさんという女性の療法士だったが、やはり創心會らしく、優しくハードで優秀だった。
市に対して申請するかどうかまだ決めていないが、行って良かった。
動くことはひとつひとつが自信になる。

7-8月雑感

会社を辞めて独立するには勇気が必要だったがそうでもしないと機能を今日かする運動と医療機関の多層的受診はとてもできなかった。
現在は社会復帰50%というところだが、それなりに仕事も舞い込み、それなりに充実しつつもぐっすり睡眠をとっている。もちろん再社会復帰として年内の自動車運転実現、年明けの本格稼働(またはオファーを受けての企業入り)を成し遂げたいと思っている。
どこまで機能が回復するかは誰にもわからない。願いが全て叶わないことも、努力が実を結ばないこともあるだろう。しかしいつの日か、今のスタッフの前に、そして一度は死を予感した病院に顔を出したい。今自分は人生でそうは得られない恵まれた日々を生きている。

(闘病ブログにつづく)