第六章 2019 3 入院(4)
回復期病院は入院患者のためのものです。人員配置上の課題等もあり、通所・外来に広く門戸が開かれているわけではありません。よって退院後は直接的な関係は切れ、新たなリハビリ受入先を探さねばなりません。そこには要支援要介護等級やエリアギャップなどすんなり行かない事情が伴うため、ケアマネージャーの存在がとても重要になります。入院中のいち早い情報収拾をお勧めします。
ケアマネージャーは人材で選ぶのではなくエリア(学校区)で決まる。病院付きのソーシャルワーカーに動いてもらったが、3月に入って春めいてきても決まらない。高齢者を中心に介護保険被保険者の数が多く、逆に介護従事者の数が足りないことから、手が回らないと断られ続けているという。同じ理由で訪問看護師や訪問リハビリも一向に決まらない。ソーシャルワーカーに対して「この人大丈夫?」と思ったが、自分の力ではどうにもならない。無為な日々が過ぎる中、またしても師長が動いてくれてようやく決まった。
ケアマネジメント 介護保険事務所たましま
訪問看護リハビリ 株式会社 創心會
どちらも「私が担当です」と訪ねてきてくれたのは、まだあどけなさを残す若い女の子だった。この人たちが退院後の自分に何をもたらしてくれるのか…この時はサッパリわかっていない。「大丈夫かいな?」と思ったが、このふたり、ものすごく大丈夫だったのだ。それについては、のちの章にて。
「3月は週に1、2日デモ出勤と新生活準備のために外出したい」…などという無茶をまた言ったが、今度も師長が院長に話を通してくれ無事実現した。歩いて職場に4ヶ月ぶりに戻ると、みんな目を丸くして喜んでくれた。街はずれにある病院までは、あの日救急車を手配してくれた心優しい女子社員が早起きし、クルマで迎えにきてくれた。
同じく久々に単身世帯である自宅に戻ると予想通り荒れ放題。麻痺が残り、まだリハビリを要する身体でとてもやっていけるような環境ではなく途方に暮れた。病院に戻って師長に相談すると障害者が住みやすい住居について教えてくれた。立ち座りに使い勝手の良い家具や寝具の調達、今まで最低限のものしか揃えてなかった家電の買い替え、さらに生活用品・食品の大量購入、当面左手一本で操作できるグッズの取り寄せなど、出費はともかくどこにどうやって買いに行こう・・・もう退院まで日数がない。思い悩んだ。するとどこからともかく…本当にどこからともなく友人たちが次々に来てくれて、日帰りで家具専門店、家電量販店、大型スーパーに連れて行ってくれて、部屋の清掃、粗大ゴミの搬出、購入した大型家具等の荷下ろしなどをやってくれた。これはもう感謝しかない。準備は整った。いずれ恩を返したい。
入院後しばらくは寝たきり。そこから会話ができるまでに1ヶ月、立てるまで1ヶ月、歩けるまでにさらに1ヶ月。最後の1ヶ月は仕事場での再起の準備と環境整備に費やした。冷静に考えれば、まだなんとか歩ける程度。右腕はピクリとも動かない。ただ血圧、血糖値、HbA1cなどはびっくりするほど改善した。というより発症前の数値が酷すぎた。
院内では「一秒でも早く退院したい。仕事が待っている」と強がり、周囲からは「前向き」と評価されていたが、その実退院後ひとりでやっていく自信などカケラもなかった。病院の庇護から外れ、車が行き交う道々をひとりで歩くことを想像しただけで怖くなった。
だが歩行が完全化し右腕が動くようになるまでには気が遠くなる時間を要するだろう。定められた入院期間まで延長しても望む結果は得られまい。つまりこれ以上入院しても甘えるだけで、厳しい社会環境とのギャップは広がるばかりだ。それでも4ヶ月もいれば情もわく。あれほど待ち望んだ退院が近づくと、日々寂しさがこみ上げてきた。
赤が12月初め、青が3月の評価である。
(評価者は担当看護師)。
●セルフケア
・食事 5→7(完全自立)・整容 6→7(完全自立)
・清拭 1(全介助)→5(監視)
・上更衣 1(全介助)→7(完全自立)
・下更衣 1(全介助)→7(完全自立)
・トイレ動作 4→7(完全自立)
●排泄コントロール
・排尿管理 6→7(完全自立)・排便管理 6→6(修正自立)
●移乗
・ベッド、椅子、車椅子 3→7(完全自立)
・トイレ 3→7(完全自立)・浴槽 1(全介助)→5(監視)
●移動
・ 歩行、車椅子 1(全介助)→7(完全自立)
・ 階段 1(全介助)→6(修正自立)
回復期病院の退院プロセスは急性期病院のようなサドンデス感はない。それだけに退院カウントダウンはとても切ないものがあった。早めに事務処理を済ませるとあとは退院日を待つだけに。4ヶ月もいると荷物が病室に溢れかえり、「どうしたものか。タクシー2往復分くらいだな」と思っていると、30年来の友人が多忙の中、荷運びに来てくれた。多謝。
退院日。
あれほど困らせたST(口腔療法)は「よく頑張りましたね」と泣いてくれた。さらにOT(作業療法)は「クルマの運転したいって行ってましたよね。機能がもう少し戻れば充分に可能です。ウチには審査用のドライビングシュミレーターがありますので絶対またここに戻って来て、元気な顔見せてください」。二人で退路を絶って歩行訓練を行ってくれたPT(理学療法)も涙を浮かべて「寂しくなります」。再会を期し固く握手した。
「僕らはこの病院から出ることなくて、外のことはあまりわかりませんが創心會さんのリハビリは素晴らしいと聞いています。もっと機能は回復します。落ち着かれたらぜひ遊びに来てください」。
最後にナースステーションに立ち寄った。退院日とその時間を知っているはずなのに、これまで影に日に支えてくれた師長はいなかった。
「らしいな(笑)」と思いつつ、病院を後にした。
(第七章につづく)