第七章 2019 4 社会復帰(1)
入院中リハビリではかなり無謀な自主トレを行いました。もし単独歩行訓練で転倒し、打ちどころが悪かったら…せっかく積み上げたリハビリ成果が入院初日段階に逆戻りするところでした。それでも自立を求めたのです。自立とは何か?…自立とは自ら考え自ら動くことであり、人生を嘆かず前向きに過ごすことだと思います。自立とは成果を前提にはしません。とにかく一歩踏み出すことです。誰も答えを知らないのですから。
ケアマネジメント 介護保険事務所たましま
訪問看護リハビリ 株式会社 創心會
ホームヘルパー 柴田病院 訪問介護事業所
訪問看護 L病院 訪問介護ステーション
デイケア アビリティ共生デイ
主治医/内科、腎臓内科、整形外科、眼科、歯科
(左) 柴田病院
(右) アビリティ共生デイ
退院後に際してはふたつの現実的感覚が必要である。
ひとつは障がい者(現時点では申請前)として自覚を持つこと。もうひとつは人としての誇りを失わないこと。
前者は世をすねたり、はかなんだりしないこと。後者は社会制度の悪用など汚いことに手を染めないこと。
社会サービスを受けるにあたり介護保険事務所たましま(倉敷市保健医療センター)の担当ケアマネージャーと徹底的に議論した。自分に当てはめられた要介護要支援等級の客観的解釈を進め、自分の立場で得られる看護・介護・生活支援を検討した。相当言いたいことを言ったが、ケアマネージャーは嫌な顔ひとつせずメニュー化してくれた。しかし「本当にこのメニューを仕事をしながらやるんですか?」と心配顔。「まぁ…とりあえずやってみよう」と説得した。
ホームドクターとなる内科医は回復期病院で仲良くしたベテラン看護師の推薦だった。「私が看護学生の時の先生でね。私が今まで見たドクターの中で一番仕事ができてどんな人にも優しく親切な先生。もうおじいちゃんだろうけどね(笑)」。…その言葉が耳に残っていたので至近の大きな開業医ではなくそこを選んだ。初診でそのことを話すと「おお、そうか」と爆笑し「焦らず、気長に頑張るんやで。生活習慣病とは長い戦いや」。これもまた人の縁である。かくして、ここにしかない自分だけのチームが結成された。
▲ 株式会社創心會ホームページより
創心會は以前、京都で勤めている時、ヘットハンティング会社から「中途採用受けてみてはどうですか?」と打診されたことがあり、なんとなく知っていた。新興の勢いある介護サービスの多角事業体だ。その時は京都を離れる状況に
なく縁がなかったが、ふたたびその名を聞くことになるとは思わなかった。
要介護要支援等級の点数を配分した結果、創心會の訪問リハビリは40分×3回/週となった。病院でほぼ手付かずにしてしまっていた右上肢を集中施術してほしいとリクエストした。とは言えこれまで入院中は1日60分×3限を週7日 計21回をフルでやっていたので、1/7に減るのかと不安になった。しかも自宅にやって来るOT(作業療法)療法士はそれぞれ若い女性。…正直「大丈夫かいな」と不安になったが、病院の療法士とは施術方式と進捗管理が異なり、実践的かつピンポイントにリハビリを進めてくれる。特に促通が非常に効いた。さらに自主トレーニングメニューも考案してくれ、週3回120分であっても日々大きな効果が見え始めた。時間は短いがかなりハードだ。
それよりも何よりも、いくら介護サービス提供者とはいえ、物怖じせず仕事をこなす姿勢が素晴らしい。礼節も弁えており会話のボキャブラリーも備えている。もうひとつ若いのにちゃんと愛社精神を持っている点も感心した。チーム結成序盤にしてすっかり創心會ファンになった。拙宅を訪問しリハビリをしてくれるOT(作業療法)療法士はコンマイ、トガちゃん、グッさんの3人。以後ゆっくりと紹介したい。
お薬手帳というものが世の中にあることすら知らなかった。糖尿病連携手帳となるとさらに難易度が高く、知っているわけがない。新しい主治医(ホームドクター)に「次回持ってきて」と言われ、「何スか? それ?」ど返すと、懇々と説教された。
医療オンチの私が言うまでもなく、お薬手帳は処方箋→投薬になくてはならないもの。薬局が異なっても薬の変遷と傾向など通期情報が相互確認できる。また生活習慣病患者およびその予備軍には糖尿病連携手帳が欠かせない。専門医が診療情報をそれぞれ書き込んでくれるので、合併症の予防に有益であり、医療アーカイブとしても重宝できるツールである。医療オンチの私が言うのもなんだが、これらは医療機関で無料配布されている。
あれほど退院を待ち望んでいたのだが、自宅での「退院初夜」は寂しさがこみ上げてきた。いざ生活をリスタートしてみると、左手一本での単身暮らしは出だしから困難を窮める。
入院中にかなり練習したがワイシャツとスーツを着るのに小一時間を要した。通勤こそ、親切な同僚が迎えにきてくれたが、朝5時前には起床しないと間に合わなかった。仕事は左手一本で担当業務を充分にこなせたが、以前と同じように勤務しながら、通院・訪問リハビリ・訪問看護・
ヘルパーをどうセッティングしようかと頭を痛めた。これは文字通りの偏頭痛で当分苦しめられることになる。昼食時や休憩時間に自宅にトンボ帰りし、リハビリ等を受けたが道中だけで身体が悲鳴をあげた。
「ヤケ起こさないで!! あなたは絶対治る。絶対絶対治る。私にはわかる。私が保証する。だからヤケ起こさないで。絶対に負けないで。ヤケ起こすのは弱虫よ!!」
看護師の言葉が脳裏に浮ぶ。
(第八章につづく)